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人間なら118歳のご長寿!児童文学作家の飼い主が愛した「みけちゃん」 25年6ヶ月のニャン生を全うして虹の橋へ

人間なら118歳のご長寿!児童文学作家の飼い主が愛した「みけちゃん」 25年6ヶ月のニャン生を全うして虹の橋へ

2024年5月27日、多くの猫好きさんから愛されていた長寿猫が天国へ旅立ちました。彼女の名前は、みけちゃん。

みけちゃんはなんと、25歳6ヶ月ものニャン生を謳歌したハイシニアにゃんこ。長生きの裏には、飼い主である児童文学作家・村上しいこさんの深い愛情も関係していました。

アパートの6階に住む村上さんに助けを求めた野良猫

みけちゃんは引っ越しを理由に置いていかれ、外での生活を余儀なくされた子。ある日、腰のあたりを犬に噛まれ、村上さんに助けを求めました。

みけちゃんと村上さんは、以前から面識があったそう。村上さんはアパートの駐車場で過ごすみけちゃんと目が合うことがあり、気になっていました。

そんな村上さんが印象に残っていたのか、みけちゃんは怪我をした後、アパートの階段を登り、6階にある村上さんの部屋へ。10cmほど空けていた玄関から家の中へ入り、ソファーで眠り始めたのです。

キッチンにいた村上さんは、何かの気配を察知。振り向くとみけちゃんの姿が目に入り、驚きました。

怪我に気づいたのは、数日後。膿が出ていたため、村上さんは人生で初めて動物病院へ。幸い骨や神経は無事。飲み薬の服用で傷は完治しました。

こうして、みけちゃんは家族の一員に。当時の年齢は、1歳ぐらい。11月上旬に動物病院へ行ったことから、覚えやすいように誕生日は11月1日になりました。

前から一緒に住んでいたように警戒心もなく、外へ出たいとも言わず、そうすることが決まっていたように暮らし始めました。

2匹の弟猫が家族の仲間入り!

若い頃は、活発。好きだったのは、ゆでる前のパスタを1本おねだりして遊ぶこと。パパさんから、みけちゃん用に調理した白身魚を貰うことも楽しみのひとつでした。

日常の中では、女優顔負けの演技力を見せることも。踏んだうちに入らないくらいの力加減で家族が偶然、フワっとみけちゃんを踏んだだけでオーバーリアクション。一方、自分で足を踏み外しした時などは何事もなかったかのように、おすまし。

一緒に暮らす中で、大変だったことはありませんでした。すべてが大切な思い出です。

みけちゃんが11歳になった頃、村上さんはより日当たりがよく、走り回れるほど広い平屋へ引っ越し。

引っ越し直後、みけちゃんはクローゼット裏に隠れ、飲まず食わずの状態となりましたが、夜中にこっそり食事や水分を摂ってくれたため、村上さんは安堵。2週間ほど経つと、新居での暮らしを楽しみ始めました。

1年後、環境に変化が。穴に落ちていたピースくんが、家族に加わったのです。当時、ピースくんは生後2~3ヶ月ほどのやんちゃボーイ。

当初、みけちゃんはタジタジになっていましたが、先住猫を最優先にしながら暮らす村上さんの努力もあって、絆を深めていけるように。

左からピースくん、パレオくん、14歳の頃のみけちゃん

また、翌年にはパレオくんという弟猫も家族の仲間入りをし、暮らしはより賑やかなものになっていきました。

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長寿猫として表彰!てんかん発作や夜鳴きと向き合った日々

それまで病気知らずだったみけちゃんの体に異変が起きたのは、18歳の頃。いつものように弟猫たちと廊下で日向ぼっこをしていた時に突然、痙攣。瞳孔が開き、口からは泡が…。

動物病院では「てんかん発作」と診断され、全身麻酔は年齢的にハイリスクであるため、予防薬を飲むようになりました。以後、家族は、てんかん発作を引き起こす大きな音や高い音などを出さないよう、注意するようになったのだとか。

それから2年ほど経った頃、村上さんは終の棲家を見つけ、2回目の引越しを決行します。引っ越し先は、蔵つきの古民家。一度引越しを決行したからか、はたまた弟猫たちもいたからか、みけちゃんは新居ではパニックになりませんでした。

20歳の頃

3匹の猫たちは6LDKの古民家でそれぞれお気に入りの場所を見つけ、より快適な家猫ライフを送るように。なお、同時期、20歳になったみけちゃんは三重県獣医師会から、2019年度の県内最高齢猫として表彰されました。

おむつを装着するようになったのは、21歳の頃。腎機能が弱くなり、トイレが間に合わなくなってきたからです。お利口さんのみけちゃんは初めてオムツをつけた時、嫌がりませんでした。

23歳の頃、みけちゃんは夜鳴きをするように。獣医師から認知症ではないことを聞いた村上さんは老いという変化に戸惑うみけちゃんの心に寄り添いたいと思い、「大丈夫」と声かけをするようになりました。すると、不思議なことに数瞬間後、夜鳴きは落ち着いたのだとか。

23歳の誕生日

この年には三重県獣医師会から、三重県最高齢猫の勲章である盾を貰いました。

24歳の頃からは数回、歯茎の中に膿が溜まって治療をしましたが、みけちゃんの歯は抜けることなくほぼ残っていたそうです。1日でも長く生きてほしいとの思いから、村上さんは年齢にあった食事を意識し、毎日ブラッシングとマッサージ。段差はなくし、滑りにくい工夫も行っていました。

意外だったのは、ドライブが好きだったこと。面倒見のいいお姉ちゃんで弟猫たちも一目置いていました。

当時行っていたケアは、著書『25歳のみけちゃん』(主婦の友社)で公開。同作は、ハイシニア猫と暮らす方や愛猫の長生きを願う飼い主さんにとって価値のある情報になっています。

25年6ヶ月のニャン生を全うして“虹の橋”へ

たくさんの愛を受けながら、ニャン生を謳歌していたみけちゃん。しかし、25歳6ヶ月となった2024年5月27日、別れは訪れました。

気温差が激しかったこの日、お昼寝から起きたみけちゃんは部屋を歩くも、辛そうな素振り。時々、立ち止まって力むも、うまく便が出ない様子であったため、村上さんはお腹をマッサージしました。

30分ほどかけて便は出たものの、その後、呼吸が荒くなり、動物病院へ。点滴や注射をしてもらった後は自らキャリーケースに戻るという気丈な姿を見せてくれましたが、その夜、静かに息を引き取りました。

最期の時、大好きだったバターを舐めさせてあげると、みけちゃんは起き上がってペロペロし、大きな声で「にゃあ、にゃあ」と鳴いてくれたそう。村上さんはこみ上げる色々な想いを必死で抑え、「もう頑張らなくてもいいよ」と伝え、かけがえのない存在を看取りました。

みけちゃんがいなくなった後、村上さんは頭にもやがかかったような状態になり、食事もできず、涙を流す日々を送ったそう。

そんな気持ちを、みけちゃんへのラブレターとも言える『みけちゃん永遠物語: にゃん生“はなまる”にゃわ』(小学館)にエッセイとして綴り、今は「ペットロス」という言葉では表現できない痛みと前向きに向き合っています。

泣かないというのは難しいけど、ペットロスを意識しすぎないようにしています。みけちゃんがいつ帰ってきてもいいように、今までと変わらず部屋を綺麗にして、散歩していた庭の手入れもきちんとしています。

みけちゃんが残してくれた弟猫のピースとパレオがいてくれることが救いになっている。そう語りもする村上さんはみけちゃんが使っていたものを見たり触れたりしながら、思い出を噛みしめているそう。大切な形見は身に着け、みけちゃんの写真に話しかけてもいます。

人間の年齢に例えるならば、118歳という長い月日を全力で楽しんだみけちゃん。命の記録が綴られた村上さんのインスタグラムを見ると、“うちの子”の愛で方も振り返りたくなります。